ソンクラン休暇

また少し更新が滞ってしまいましたが、この間に、タイはソンクラン(タイのお正月)を迎えました。
夫も4月11日から19日まで9連休だったので、我が家は旅行に行ってきました。

昨年、水掛け祭りで大変な目に遭ったので(去年の様子)、今年はバンコクを脱出したいと思っていたのですが、別に家に籠ってればいいんじゃないの~と、夫のエンジンがなかなかかからず、気付けば3月も終わりに。

9日間も家にいてどうするの~、本当にどこにも行かないの~とせっついていたら、ようやく重い腰が上がってくれたので、すぐさま旅行会社へ。

しかし時すでに遅し。
ソンクランのパッケージツアーは概ねもう一杯で空きなし。
仕方がないので、ソンクランを外し、9連休の後半に旅行に行くことにしました。

旅行先はタイ南部のクラダン島が第一候補。
少し前まで全く知らない島でしたが、先月7年の任期を終え、本帰国された会社の方に、7年の間に旅行に行かれた中で、一番良かったのはどこですか?と聞いたところ、クラダン島!という返事が帰ってきて、俄然興味が湧いてきました。
ソンクランの後ならちょうど空いてますということで、即決で申し込みしました。

時期は何かずれているけど、気になっていた場所に行けるということで、私的にはかなり満足。
幸せな気持ちでソンクランを迎えられるなぁと思っていました。

しかしここから更に10日後。
ソンクラン1週間前になって、夫が「あれ?そもそもさぁ、水掛けを避けたいから旅行に行くんじゃなかったっけ。これじゃあ全然避けられてないじゃん!」と言い出しました。
いや、だから、それはしょうがないじゃん!

しかし夫は負けない。
探せばどっか空いてるはずだ、と言い張り、再び旅行会社へ突撃。
9連休なんてなかなかないから、余すことなく存分に楽しみたいという思いもあったようです。

いやもうどこも空いてないでしょ~という私の予想に反し、旅行会社では数枚のパンフレットが出てきました。
ハノイとホーチミンとラオス。
あら~、まだ空いていたのね。

日本に戻ったら、きっともう行く機会はないだろうという理由で、ラオスにも行ってみたかったのですが、何だか手続きに時間が掛かるとかで、今からではちょっと難しいかなということで、ベトナム一択に。

実は年末年始にホーチミンに行っていたので、またベトナムかぁとちょっと思ったのですが、雑貨のショッピングが楽しかったし、食事も美味しかったしで、気に入った場所なのは確か。
しかもホーチミンとハノイはだいぶ雰囲気の違う街だと聞いていたので、ソンクランの旅行先はハノイに決定。
寸前でも、結構取れるものですね。
ベトナムは他に比べると、人気が低いようです。
隣の国で近いし、旅行代金も安めで行きやすくていいと思うのですけどね。

しかし、一度の休暇に2ヶ所に旅行に行くなんて初めてのことで、間に一日挟むとはいえ、大丈夫かなぁとちょっと心配でした。
でも今後、こんなゆっくり旅行に行けるかわからないし、タイに残ろうと決めたのは、ナツにここでしか出来ない経験をさせたいというのが第一だったのだから、思い切りいろんな体験してください!と、思いきって出掛けてみることにしました。

結局、ナツは最初から最後まで元気で楽しむことが出来ました。
夫の方が旅行最終日、俺、社会復帰できるかな・・・と、ちょっとブルーになっていました。

ハノイとクラダン島は、まさに動と静。
まるで正反対の場所でした。
全く違った場所に続けて行くというのも面白かったです。
旅行記は次で。
ここでは準備編だけになってしまいました、もう少しお付き合い下さい。

by mineyom | 2015-04-22 18:52 | タイ生活 いろいろ

ナツのパスポート更新

中学校問題の記事はまだ続きますが、ちょっとお休みしまして。

少し前の話になりますが、ナツのパスポートの更新に行ってきました。
気付けばパスポートの有効期限があと6ヶ月になっており、春休みに旅行にいく予定もあったので、早めに済ませておこうと手続きしてきました。

まずは必要書類の準備。
在タイ日本大使館のHPによると、今までのパスポートと証明写真を持っていけば良いようなので、まず写真を撮りに。

街中にいろいろ写真屋さんはありますが、今回は日本人経営のお店で、日本人の方が常駐している「デジタル プリエモン」へ。
というのも、ナツの証明写真を撮るのに毎回苦労しているからです。
タイの人ばかりのお店だと、意思の疎通が上手くできず、更に大変になってしまうかもしれないと、保険のためにSoi43まで行ってきました。

まぁ、結果から言うと、受付してくれたのは日本人オーナーでしたが、写真を撮ってくれたのは、タイ語しか出来ないタイ人スタッフの方だったので、あんまり意味ありませんでしたが・・・。

ナツはまず、普通の顔ができません。
写真を撮るので、ナツは笑顔を作ってくれるのですが、「今は笑わないで、普通の顔して」と言うと、途端にどんな顔していいのかわからなくなってしまうのか、顔がこわばってしまいます。

何故かあごが上がってしまうので、「あご引いて」と注意すると、あごを引きすぎて下を向いてしまうし、ポカッと開いてる口を「閉じて!」と言うと、ぎゅっと閉じすぎて、口はへの字。更にそれに連動して目もきゅっと細くしてしまうという。

「お母さんを見て!おんなじ顔して!」と言って真似させようとしても、どう見てもあちこちに変な力が入っちゃっている顔。
パスポート写真として認められるのか微妙で、「ナツ、もっと目を開けて!もっと目をパチっとして!」と言ってみたら、目を大きく開けてくれて、それに連動して、ぎゅぎゅっと結んでいた口の力が抜けて、上手い具合に普通の顔に。

今だ!と思ったら、そこはさすがプロ。
一体これは、いつシャッターを押したらいいのか・・・という感じで手もちぶたさに立っていたカメラマンさん、すかさず7、8枚バシャバシャバシャっと撮ってくれました。
ちょっと時間は掛かったけど、何とか撮れて良かった~。

7、8枚あったにも関わらず、出来上がった写真は、どれも「可愛く撮れたね!」とは言い難い、微妙な顔ではありましたが、まぁいいでしょう。


出来上がった証明写真を持って、いざ日本大使館へ!
着いたらまず、申請書の記入です。
この申請書、本人自筆のサイン欄がありますが、5年前の、今のパスポートを申請したときには、私がサインをしました。
「ナツの名前(私の名前(母)代筆)」という形で。

7歳以上は自分で書いてくださいと言われたのですが、その頃のナツはなぞり書きがやっとという状態だったので、「この子は障害があって自分で書くのが難しいのですが・・・」と言うと、じゃあお母さんが代筆してくれればいいです、ということになりました。

12歳の今回は、平仮名ならば何とかなりそうだけど、署名欄の枠が結構小さいので、この中に綺麗に入れるのはちょっと難しいかなという感じでした。
もしかしたら何枚か申請書を無駄にしちゃうかもしれないけど、今回は頑張らせてみようかなと思いつつ、そばにいた係りの方に「すみません、この子ちょっと障害がありまして・・・」と署名欄を指しつつ聞いてみたら、あっさり「じゃ、お母さん書いて下さい!」と言われました。
あ、それでいいの?

実は7歳の申請の時には、「障害があるので私が書いてもいいですか?」と聞いたら「何とか頑張ってご自分で書けませんかね」と言われたのです。
「無理です・・・」と返したら、仕方ないですねという感じで了承されたという経緯があったので、出来るだけ自分で書くというのが決まりなのだと思っていたのです。
その辺は、対応した方によるみたいですね。

それなら私が書いちゃお、とささっとサインをして、申請書を出しました。
次の申請の17歳の時には、ちゃんと自分でサインさせようと思います。

しかしあとで調べたら、このサインはフルネームでなく、下の名前だけでもいいみたいですね。
究極は、同じように再現できるなら、○や△でもいいらしいです。
ただあんまり凝ると、同じにサインできなかったり、とっさにどんなサインだったかわからなくなったり何てこともあるみたいです。
まぁナツが17歳の時には、自分の名前は漢字で書けるように、今から練習しておこう。

しかし今回に限って言えば、この申請のあと、ビザの更新のために何枚も書類にパスポートと同じサインをする必要があり、この時ばかりはナツにサインさせなくて良かった~と思ってしまいました。
同じサインを何枚もさせる労力を考えたら・・・。

申請のあと、1週間も待たず、新しいパスポートを手にできました。
新しいパスポートの写真も、ナツは気に入ったようです。
このパスポートも、これからたくさん活躍するのかな。

by mineyom | 2015-04-10 00:12 | タイ生活 いろいろ

中学校問題 その10 日本に帰るという選択

第一希望のスペシャルニーズのインターナショナルスクールに進学することをやめたことで、ナツの進学先の選択肢は、この学校よりもリーズナブルな学校を探すか、日本で母子で帰るかの2つとなりました。

しかし日本に戻るという選択は、最初からあまり考えてませんでした。

この一年、新しい環境、新しい生活に慣れるために全力疾走してきて、ようやくこの生活に慣れて楽しめるようになってきていたところで、出来ればあと1年くらいは、この生活を維持させたいと思いました。

この時すでに、卒業式を間近に控えた2月の終わり。
ちょっと一息つかせてほしい、これからすぐに、1年前に大変な思いをした海外引っ越しを一人でやりとげ、再び新しい生活を始めるなんて無理。
せめてもうちょっと猶予をちょうだい~!という気分でした。

それでも一応、日本の以前住んでいた地域の、教育委員会にも問い合わせてみました。
今からでも4月の入学に間に合いますか?と。
そうしたら、今からでも4月の入学に何とか間に合いますよ。地域の支援学級でも、支援学校でも、基本的にいつでも受け付けますとのお返事でした。

生徒の数によって、先生の配置などが関わってくるから、ギリギリでは難しいだろうと思っていたので、ちょっと驚きました。
春の帰国が時間的に大変でしたら、夏に戻られて、2学期から編入という形でも大丈夫ですよ、と言われました。

この教育委員会の担当者さんは、とても親切でありがたかったです。
この時点で日本に戻るかは決めかねましたが、タイで万策尽きても、最悪日本に戻れるという安心感は得られました。

日本人学校の担任の先生たちは、中学部に進学は叶わず、インターナショナルスクールも諸々の事情で諦めた時点で、日本への帰国を即選ばなかったことに、少なからず驚いたようです。
卒業間際の個人面談で、まだ進学先が決まってないんですよね~と言ったら、軽く引かれたのを感じました。

はっきり言われはしませんでしたが、日本に帰らないんですか!?という雰囲気は、ビシバシ伝わってきました。
なっちゃんにとっては、日本で教育を受けるのが一番だと思いますということでした。
この1年、ナツにじっくり関わってくれた先生が言うことだから、やはりそうした方がいいのかと心は揺れました。

それはもちろん、日本語で教育してもらった方が、英語やタイ語環境よりも楽だとは思います。
しかし、それはつまり家族一緒に暮らせないということです。
我が家にとって、ナツの教育は、それはもちろん大事なことだけど、学校教育が第一かというと、それはどうかなと思いました。

小学校6年間、ナツは日本の学校に通ってましたが、正直学習面はそれほど伸びていません。
知的重度なので、本当に進みはゆっくりで、学校に行ったからこれだけのものが習得できたという実感はあまりありません。

ナツはゆっくりゆっくり一生かけて学習していくと思っているので、ここで1、2年日本の学校教育から離れても、人生においてそれほど大きな問題にはならないと思いました。

引き続き、家庭と公文で読み書きと数の勉強は続けていくし、何よりナツの場合、学習面よりも人とのコミュニケーションや自己主張出来るようになることを、学校に求めているので、それならば日本の学校でなくてもいいと思いました。
逆に母国語でない環境でそれを身につけられたら、ある意味すごいよね。

そして何よりも我が家は今、タイにいるのです。
日本に帰るのはいつでもできるから、ここでそんなに慌てて帰らなくても、ここでしか出来ない経験をたくさんするのも、家族で思い出をたくさん作るのも貴重じゃないかと思いました。
夫の駐在期間はまだまだ長いので、ここで日本に帰ると何年も離れることになってしまいます。

日本に戻った方が・・・というプレッシャーを掛けられれば掛けられるほど、日本で教育を受けるのって、そこまでいいかなぁと思ってしまいました。
大真面目な先生には言えませんでしたが、あと1年くらい、家族でタイで遊んでちゃダメですか?という気持ちでした。

遊ぶというのは言葉は悪いですが、異文化体験をしたり、多言語の中に身をおいたりということが自然にできて、何よりも家族で楽しく暮らすということがナツにとって重要であると思いました。

それはタイという国と人が気に入って、ナツにも合っていると感じているせいもあるかもしれません。

やはり海外に住むということは、望むものをすべて手に入れることはできません。
だからこそ、家族にとって何を優先させるべきかを考え、最善の道を選んで行くことが大事だと思います。

方向転換はいつでも出来るしね。
臨機応変に、これからも道を模索していきたいと思います。

by mineyom | 2015-04-09 11:25 | タイ生活 就学(中学校)

中学校問題 その9 インターナショナルスクールの学費

その8にて書きました、インターナショナルスクールに入れようと動き出したら浮上した問題。
それは学費でした。
たかがお金されどお金。
お金の問題は重要です。

そもそもインターナショナルスクールの学費が高いことはわかっていました。
日本でもインターナショナルスクールの学費は高額ですしね。
日本人学校の学費よりも、かなり高くなってしまうことは認識した上で話を進めていました。

しかもこの学校はただのインターナショナルスクールではなく、スペシャルニーズのインターナショナルスクールです。
小規模で先生の数も多く、ST、OTの先生も常勤で毎週訓練を受けられるという至れり尽くせりっぷり。
学費も高くなろうというものです。

しかし、いくらなんでも高すぎる!
予想を超えてた!

以前から、こちらの学校に通われている方に、だいたい学費はいくら位という話は聞いていたんです。
確かに高いけど、まぁそれくらいなら会社にお願いしても大丈夫かな、という心積もりもありました。

駐在員の子どもの学費に関しては、どこの会社もだいたい規定があると思います。
会社によって様々ではありますが、日本人学校の場合は、学費は会社が全額負担というところが多いのではないかと思います。
夫の会社もそうでした。

インターナショナルスクールに関しては、会社によって、かなり違いがあると思います。
全額会社負担のところもあれば、日本人学校の学費を超える分は自己負担、ほとんど補助がない会社など、会社の考え方次第。

実は夫の会社は、全額会社負担ではないものの、かなりの額の会社負担があるので、インターナショナルスクールを選んでも、それほど大きな負担がなく通うことができます。
同じ会社の中でも、お子さんをインターナショナルスクールに入れている方も何人かいます。

しかし、体験入学後に提示された学費が・・・。
お友達にあらかじめ聞いていた学費を、遥かに越えていたのです。
年々学費が上がっているのは確かみたいですが、それでもちょっと高すぎるので、どうしてうちはこの金額なのかと問い合わせしてみました。
すると、体験入学の時にお子さんの様子を見させてもらったが、お子さんはlevels are lowなので、たくさんのケアと教育が必要だからだ、という返答がありました。
学費は一律だと思っていたのですが、実際はその子その子で大きく違っていたのです。

確かにお友達のお子さんよりナツは障害が重く、出来ないこともたくさんあるので、あなたの子は手が掛かるから、と言われてしまうと何も言えません。
夫は差をつけられた、失礼だと怒ってしまって、かなり不信感を抱いてしまったようです。

しかし、教育費は一律と思っているのは日本的な考えで、一人一人に合わせたカリキュラムを組み、オーダーメイドの教育をするというのは、特別支援教育においては特に、理に適っているのかなと思いました。
欧米ではそっちの方がスタンダードなのかも。

しかしその額が尋常じゃありません。
それだけあれば、私立大学、いや私立の医学部も行けちゃいます。
中学の3年間で1000万円を越えてしまうんです。。。
手が掛かると言っても、ナツに特別に一人先生をつけてくれるわけでもなく、基本は同じクラスに入って過ごすので、そこまでの待遇の差は感じられず、腑に落ちない気もしました。

この学費を会社に申請するのも、さすがに気が引けました。
実際、夫が本社の方に日本人学校の中学部に支援学級がないので、インターナショナルスクールを希望しているが、学費がこれこれですと問い合わせしたところ、そのあと音沙汰なしになってしまったし・・・。

夫の会社は毎年2月に辞令が出るので、これは絶対、帰国辞令が出るんだ!と辞令発令日まで、夫婦で戦々恐々としてました。

結局、この春の帰国はありませんでしたが、それは赴任1年で帰国させては、子どもの学校の件で帰国させるのがあきらかで、それはさすがに障害のある子を持つ社員を差別するようで、会社の立場的にもできないかぁと思いました。
しかし今後はわかりません。

そして私達がこの学校を諦めた一番の理由が、学費の負担が日本の本社でなく、夫が現在出向している、タイの現地会社であったことでした。
もちろん申請は本社にするので、その了承を受けてのことですが、お金を払うのは、日本の本社よりだいぶ小規模なタイの現地会社なのです。

夫はナツの学費が会社の売り上げに、もろに響いてくるんだと言いました。
赤字だったこの会社に去年出向してきて、日本人もタイ人も力を合わせて、黒字に転換させよう!と頑張っているこの時に、この莫大な学費を会社に背負わせることはとても出来ないと言います。

相談した同じ会社の奥さんたちには、駐在員の権利として会社の規定にあるんだから、そんなこと気にせずに申請しちゃって大丈夫よと言われましたが、夫の気持ちもよくわかるんです。
ナツを連れてきたことで、いろんな場面で特例特例と言われ、相手は深い意味があって言ってるのではないと思いますが、やはり肩身の狭い思いはしていたと思います。

学費の件で、さらに会社に気を使うことになる。
やはり夫には気持ち良く働いてもらいたいし、それが弱点になっても可哀想。
何よりも、この事をきっかけに帰国になってしまう可能性は充分あることで、今やる気一杯でタイで頑張っているのを、そのことを理由に断たれてしまうのは勿体ないことだし、一家にとって得策でないと思いました。

夫婦で話し合った結果、この学校はやめようという結論になりました。

しかし、この学校自体はとても良い学校で、すでに通われているお友達もいるし、この春から日本人の先生もパートで入ると聞いていたし、駅近で通いやすいしで、やはりここに入れるのが、ナツにとっては一番いいという思いも捨てきれず、一度は全額自己負担してでもここに入れようかと考えました。

しかし冷静に考えると、それだけのお金を出すなら、何でもできちゃうよ!と思い直しました。
それだけあれば、毎月飛行機で日本とバンコクを行ったり来たりすることもできちゃうし、家庭教師を何人も雇うこともできちゃう。

そもそもうちの場合は、英語を身に付けさせたいとか、将来海外で活躍してもらいたいとか、そんな目標があってインターナショナルスクールに入れる訳じゃない。
行き先がなくて、ある意味仕方なく入れるわけで。

ここでインターに入れたからって、将来何か約束される訳でもない、ただお金を使うだけ。
だったら少しでも、ナツの将来のために、お金を残しておいてあげたい。
ここでそんなに使うわけにはいかない。

という結論に至り、後ろ髪引かれる思いを残しながらも、このインターナショナルスクールは候補から外すことにしたのでした。
第一候補だった学校を諦め、進路変更したのはこのような理由からだったわけです。

by mineyom | 2015-04-06 19:47 | タイ生活 就学(中学校)

中学校問題 その8 どんでん返しならず

長らく更新が滞ってしまいました。
この間、紆余曲折あり、いろいろと思うところ、考えるところがあり、上手く心が定まらず、記事にもなかなか出来ませんでした。
しかし4月に入って、ようやくナツの進路が決まったので、ご報告したいと思います。
この3ヶ月間、ずっと不安の中にいましたが、やっと一息つけました。

まず結果から言うと、タイトルの通り、どんでん返しはなりませんでした。
半ば予想していたことではありましたが、1月の終わり、担任の先生に「中学部に特別支援学級の設置はしません」と言われたときは、少なからずショックを受けました。
やはりこのまま日本人学校の中学部に上がるのが、ナツにとっても私にとっても一番楽であるのは確かでしたから。
しかし6年生が一人きりで、中学部の支援学級に在籍する生徒が少ないということも影響したのか、中学部の支援学級は必要度が低いと判断されてしまったようです。

その反面、小学部の支援学級の方は、今年度大幅に定員を増やすそうです。
今までも、全校生徒数に対して、支援学級の定員が少なすぎると感じていましたし、編入を希望しても空きがなく、ウェイティングしていたという方も多かったので、そのことは本当に良かったと思います。

しかし小学部の定員を増やして、小学部の方を手厚くするから、その代わり中学部の方には作れません、というのは、それはまた別の話なんじゃないかなぁと思いました。
しかも小学部の定員を増やせば、毎年中学部に上がる子も増えるということで、今後その受け入れに関してはどうしていくつもりなのかなぁと思います。
小学校卒業後に、もれなく行き場がなくなるということだけは、勘弁してもらいたい。
来年度以降、どうなるかわかりませんが、考えてほしいと思います。

さて、日本人学校から返事をもらった後、日本人学校への未練はすっぱり断ちきって、インターナショナルスクールに入学すべく動き出しました。
この時点で我が家では、日本人学校かインターナショナルスクールかの二択しか考えていなかったので、当然前々から見学や体験入学していた学校に入れるつもりでした。
しかしここで、問題が持ち上がったのです。

そのため、ナツの進路の選択肢が
インターナショナルスクール
タイのローカルの学校
日本へ母子で帰国 の3つになりました。
この3ヶ月、この3つでどれを選択すべきか悩み、進路が決まらぬまま春を迎えるというしんどい状況になってしまいました。

それで結局、進路はどうなったの!という声も多いでしょうから、先に結論を述べますと、ナツは5月から、タイのローカルの学校に行くことになりました。
とは言っても、普通の公立の学校ではなく、特別支援の学校です。
今はこの選択に満足しています。

ここに至るまでの紆余曲折については(という程のものでもないですが)、次からぼちぼちアップしていきたいと思います。
とりあえず、家族バラバラにならない選択が出来たこと、ナツが楽しんで通えそうな学校が見つかったことに感謝です。

by mineyom | 2015-04-05 01:36 | タイ生活 就学(中学校)