海外の特別支援教育

一昨日から1週間、夫がインドネシアに出張しています。

普段から忙しく、平日はほとんど会うことがないので、パパが留守でも特にナツは気にかけることがありません。
「パパに会いたいな~」とか、そう言えば今まで一度も聞いたことないな・・・。
パパの存在薄い?

それでも今朝は、起きてきてリビングに入ってくるなり、「パパはー?」と聞いていました。
しばらく会ってないな~とは思っているようです。

私はナツの生活リズムにだけ合わせて動けばいいので、のんびりさせてもらっちゃってます。
しかしその一方で気がかりも。
夫は最近インドネシア向けの案件を多く扱っています。
これってもしかして、もしかするとインドネシア転勤もありうる?

夫の会社の転勤辞令が出るのは毎年2月。
いつも打診も内示もなく、いきなり辞令が出るので、10年前シンガポール転勤の辞令が出たときも、5年前日本帰国の辞令が出たときも、衝撃が走りました。
なので、毎年2月が近付いてくると、何となくソワソワしてしまいます。

やはりお子さんのいる家庭で転勤となると、気になるのは移動先の教育環境だと思います。
しかも障害児がいるとなれば、果たして受け入れは先はあるのか、とても気になるところです。
私は実際夫に、日本人学校がある都市でなければ付いていけないと思うと話しています。

転勤族の方はみんな一緒だと思いますが、いつどこへ行くか全く分からないので、将来の展望がたちません。
もしそうなったら、その時はその時で、その環境の中で最適と思われることを選択するしかありません。

ナツが小さい頃。
機会があるごとに、いろんな先生に相談し、発達を促すにはどうしたらいいのかを聞きました。
その中でよく言われたのが、早く集団に入れて、刺激を受けさせなさいという言葉。

私は1歳のころから、幼児教室や音楽教室、体操教室など、様々な場所へナツを連れていきました。
すでに他の子との差はかなりあったので、同じことはほとんどできず、ナツもしんどかったかもしれません。
私も周りの子に少しでも追いついてくれたらと、とにかく必死でした。
私自身、余裕がなく、追いつめられていました。
ナツには本当に可哀そうなことをしたなぁと思っています。
その頃の思いがあって、今ナツをちょっと甘やかし気味なのかもしれません。

ナツが1歳半の時、検診でひっかかり、シンガポールの日本人医師に、日本での詳しい検査を勧められました。
夫を残して一時帰国し、こども病院を受診したところ、その時はまだ小さくてはっきり知的障害とは診断されませんでしたが、確実に発達の遅れはあると言われました。

そして市の保健士さんに療育センターを紹介されたり、自分で民間の療育施設を探したりしました。
その時私は、このまま日本に残るか、シンガポールに帰るかでものすごく悩みました。
このときは、今療育を受けさせれば、障害を最小に出来るのではないかと思っていました。
療育によって障害が治ると思っていたわけでないですが、今療育を受けさせなければ取り返しのつかないことになってしまうかも。
その大切な機会を奪ってしまっていいのかと葛藤しました。

シンガポールにも療育を受けられるところはありますが、やり取りは全て英語です。
発語どころか、言葉の理解も進んでいなかったナツに、英語での療育はどうしても抵抗がありました。
長期間に渡って海外にいるならばいいのですが、近い将来には日本に帰ることがわかっていたので、今この時期は絶対日本語を入れたい。
2つの言語を混ぜてしまうのは、ナツには負担が大きすぎると思いました。

一方で、家族は一緒にいたほうが絶対良いという周りの声もあり、本当に悩みに悩みました。
ストレスで初めての蕁麻疹が出てしまったほど・・・。

結局は、やはり家族3人でがんばろうと、夫の待つシンガポールに帰りました。
結果的にはそれで良かったと思います。
ナツが幼い、私もまだ右往左往している頃を夫が実際に見ていなかったら、ナツの障害の受け入れも上手くいかなかったかもしれないし、一緒にこの子を育てていこうという意識も薄くなってしまったかもしれないと思います。

シンガポールでの療育は、2歳過ぎからPTとOTを受けました。
やはり英語での指導でしたが、体を動かすことがメインだったので、ナツにはあまり影響がありませんでした。
その後、日本人の先生がスピーチセラピーを始められ、無事日本語でのSTも受けることもできました。

日本で療育を受けられなかったのは、日本語の獲得ということにおいて不利だったかもしれませんが、どちらで暮らしてもそんなに変わりはなかったかなというのが実感です。
療育は成長の近道ではあるけれど、万能薬ではありません(実は私は最初療育を、まるで万能薬のように思っていました。だからこそ、日本での療育にこだわりました)。
出来る時期には差が出てしまったかもしれないけど、最終的にはナツの持っている能力分は成長したと思います。
遅れた分はその代わり、他言語や空気、食べ物など、その地でしか受けられない刺激がナツの力になっただろうと思います。

就園の時期になり、さぁ、ようやく集団に入れられるぞと、私は日本人幼稚園に問い合わせをしました。
何度か面談をした後、ナツの発達の遅れ具合から、入園を半年待ってくれと言われました。
入園してしばらくは、他の子たちもまだ新しい生活に慣れず落ち着かないので、ナツに手を掛けることができないということでした。
正直断られると思っていなかったので、まだこんなに小さいのに、すでに普通の子と同じようには行かないんだ・・・と現実を突き付けられ、非常にショックを受けました。

しかし理由には納得したので、では半年待ったら入れてもらえますかと聞いたところ、「はっきりお返事はできない」と言われてしました。
日本人幼稚園は公立の施設ではないし、先生の数も常時足りないと聞いています。
仕方がないと思いましたが、周りの同学年のお友達が次々と幼稚園に通い始める中、初めて障害のある子を就園させる難しさを思い知ったのでした。

その後幸いにして、ナツの行き先は見つかりました。
日本人の方が経営しているインターナショナルスクールに出会い、そこで快く受け入れてもらえたのです。
その幼稚園はほとんどが日本人のお子さんで、先生も日本人の方が何人もいらっしゃいました。
園長先生は、障害のある子に非常に理解があり、ナツ以外にも何人も障害のあるお子さんを受け入れていました。
ナツの成長に合わせていろいろ工夫して下さり、本当に感謝しています。

しかしそんな出会いがあったのも、ある意味ラッキーで、どこの国でもそうできるかと言えば、難しいのが現状です。
国によって違ってきてしまうというのも、どこへ行くのか自分で決められない身としては辛いものがあります。

シンガポールは日本人が多く、環境的に非常に恵まれていただけで、世界どこでもそうなるとは限りません。
しかも幼児ならまだしも、就学する年齢になれば、学校の受け入れが決め手になってきます。
それができないとなれば、家族一緒に暮らすことは諦め、単身赴任という選択肢しかなくなってしまいます。

その現状は何とかならないものかと思います。
世界中どこの国に行っても、特別支援教育が受けられる。
今の段階では、やはりそれは理想でしかないのかな。

by mineyom | 2011-01-11 12:40 | 育児